facebookより梅雨葵(立ち葵)徳川の葵の話…

Mihoko Endoさんが写真を追加しました
1時間前 ·
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ハイビスカスに似てるよね!この花が上まで咲ききると梅雨が明けるそ~だ!すごいよね👏🙏👋

和名:梅雨葵(ツユアオイ)🌸☔🌂🌈
英名:ホーリーホック(Hollyhock)
花言葉:ambition(大望、野心)
fruitfulness(豊かな実り)
Mihoko Endoさんの写真

この立葵(タチアオイ)のお花は別名「梅雨葵(ツユアオイ)」. とも呼ばれてる。

(私は別名を使ってみた(笑)

このお花は梅雨入りの頃に茎の下の方からお花を咲かせ、.

その後は徐々に上部に向け開花が進みむ。

 

やがて、

茎の上部で開花を終えた頃に梅雨明けになることからついたなというからこれを聴いたら…

毎年、注目しそうですよね(笑)

葵といえば…

「葵」といえば徳川家の家紋だ①

その由来は諸説あるようだが、元来は伊奈本多家の家紋③だったという説もある。
徳川家康の祖父松平清康は享禄2年(1529年)、東三河の今橋城(後の吉田城。豊橋市)に進軍したが、その途次、宝飯郡(現・豊川市)の伊奈城主本多正忠が味方に加わった。

そればかりか、正忠は清康の凱旋を伊奈で迎えて饗宴を催し、清康の膳に3つの水葵(ミズアオイ)の葉に肴を盛って出したところ清康はご満悦で、本多家の家紋であった「三つ葵」を召し上げたという。


後日、清康の孫の家康がこの「三つ葵」を旗紋として使うようになると、伊奈本多家は徳川家に遠慮して家紋を「立葵紋」(じっさいは二葉葵紋)に改めたという②。

 


思えば戦国時代の愛知県(尾張・三河)は英傑を輩出した。信長、秀吉、家康。それだけではない、加藤清正さん、福島正則をはじめ江戸時代の大名の7割は愛知県にゆかりがある人物だったそうだ!


それに引きかえ…明治以降はどうか。英俊・傑物は戦国時代に出尽くしてしまったか…!歴史ものでした!

 

先日、NHKで水戸の光圀公が日本の歴史書を作るのに人制をささげたとあり…漫遊したのではなく日本全国を介さん・カクさんが紛争したという!この紋所が目に入らぬかぁ…はTVだけのお話でした(笑)see you then!