アイルランド(Ireland)情報♪ジョイスの『ユリシーズ』にちなんだブルームスデー、ダブリンで祝賀イベント!テンプルバーについて!

ourism Irelandさんが新しい写真4枚を追加しました ·6/16・FBより
Happy Bloomsday! Today, we celebrate Leopold Bloom's memorable journey around Dublin as part of the annual festivities which honor James Joyce and his masterpiece Ulysses. http://bit.ly/BloomsdayDublin
ハッピーブルームズデー!今日、我々 はジェイムズ ・ ジョイスを名誉年間行事の一環としてダブリン周辺のレオポルド ・ ブルームの思い出に残る旅と彼の代表作 『 ユリシーズ 』 を祝います。http://bit.ly/BloomsdayDublin
Bingによる翻訳

簡単に説明すると…

ブルームズ・デイというのは、アイルランドを代表する作家、
ジェームズ・ジョイス(James Joyce:1882-1941)の
『ユリシーズ』”Ulysses”(1922)という小説にちなんでいる。
この小説では1904年6月16日のダブリンでの出来事を描いているので、
この日を主人公ブルームの名を取って、ブルームズ・デイという^^/

何?ブルームズデー?

 【6月17日 AFP】金融危機で経済不安が広がっているアイルランドで16日、地元出身の小説家ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)のファン数千人が首都ダブリン(Dublin)に集結し、不況を吹き飛ばせとばかりに、ジョイスの代表作『ユリシーズ(Ulysses)』に ちなんだ記念日「ブルームスデー(Bloomsday)」を祝うさまざまな催しを楽しんだ。

 超大作『ユリシーズ』は、今から105年前 の1904年6月16日のダブリンが舞台。新聞社の広告取りでユダヤ人のレオポルド・ブルーム(Leopold Bloom)と作家志望のスティーブン・ディーダラス(Stephen Dedalus)が市内を彷徨する1日を、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア(Oyssey)』のパロディとしてコミカルに描く。

 主人 公ブルームの名にちなんだブルームスデーが初めて設けられたのは1929年のパリ(Paris)で、『ユリシーズ』完成から8年後のことだった。ブルーム スデーが20周年を迎えた時、ジョイスが「人々は将来もこの日のことを忘れないでいるだろうか」と心配していたという話は有名だ。

 小説 の舞台ダブリンで、最初のブルームスデーの祝賀行事が開催されたのは50周年を迎えた1954年。このとき、作家たちが馬車に乗り、小説の舞台すべてを訪 れた出来事は、現在も語り草となっている。以来、ダブリンでは毎年6月12-16日にフェスティバルが開催され、世界中からジョイス・ファンが集う。

  ジェイムズ・ジョイス・センターのジェームズ・クイン(James Quinn)氏によると、ブルームスデーには「公式プログラム」などはない。参加者はたいてい、1904年当時のファッションに身を固め、好き勝手に街を 歩き回り、ブルームが好んだニワトリなどの家畜の内臓やゴンゴンゾーラ・サンドイッチを食べ、バーガンディを飲み、小説に出てくるさまざまな場所やパブで の朗読会や祝賀会に出席する。 

 生涯の大半で「自発的亡命」生活を送ったジョイスは、生まれ故郷のダブリンに対し、愛憎の入り交じった 感情を抱いていた。1909年に彼は書いている。「僕がダブリン生まれだなんて、ああうんざりだ!この街には失敗、憎しみ、不幸があふれている」

(c)AFP/Andrew Busheより文章そのまま^^/ http://www.afpbb.com/articles/-/2612187

ダブリンといえばもっともこの待ちらしい場所!

テンプルバーエリアはダブリンの文化の発信地

テンプルバーエリアはダブリンの中心部にあり、トリニティ・カレッジから徒歩2分ほどの所にある。リフィ川に沿って東西に長く、中世の町並みが保存されており、十分に歴史を感じる周囲のシティーセンターとは雰囲気が異なる。狭い道が入り組むこのエリアには、数え切れないほどのパブやレストランのほか、ミニシアター系映画館、映画学校もあり、週末には古本市、オーガニックフードマーケットが開催される。あちこちにマップもあり、観光客が多いエリアですので観光しやすい。

写真はGallaghers Boxty House.  Temple Bar, Dublin !

テンプルバーの歴史

名前の由来は、17世紀にこのエリアに住んでいたテンプル家からきているそうだ!(トリニティ・カレッジの学長を務めたりしたようだ)。その後、ハレルヤで有名なクラシックの名曲ヘンデルの「メサイア」が1742年にテンプルバーで初演され、その後20世紀まで、この地区は衰退していくのですが、1980年代に市がバスステーションをテンプルバーに作ろうとした計画に、この地区に住む商店主やアーティスト達が猛反発、市は計画を撤回し、この地区はアイルランド文化の中心地として位置づけられ、観光資源となりったそ~だ!

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